明日から!!

ついに3年生。ドキドキですなー。今年は将来にむけて、趣味もがんばりたいね。けど、いざお話かくとなると考えこんんじゃう。だからちょとした空想な感じで、考えていこうか。



モノには思い出と想いがこめられる。
大切な人からもらったモノ、大切な日にもらったモノ。
それらを見るだけで昔の思い出が溢れてくる。そしてそれは、見る人によって、見る時によって、姿をまったくかえてしまう。たとえば今自分の目の前にあるジップロック。自分には
ただの野沢菜が入った入れ物にしかみえないが、もしかしたらコレをお隣さんがみたら、初めて彼氏からもらった、愛おしいモノかもしれない。そして、ジップロックを見るたび、今どうしているのかな、と彼のことを想うだろう。
モノには思い出と想いがこもる。
けれども、時々これに苦しむ人間もいる。
忘れたいこと、本能で忘れかけたのに、モノが自分に思い出を語ってくる。
思い出してしまう。


嫌いなもの、電車。見たくないもの、電車。
わざわざ電車が走ってない土地まで逃げてきた。生まれて育った街に、思い出も夢も全てを置いて離れた。ココロからっぽになって、この場所にきた。電車がなければ、思い出さないと思ったから。けど、残念なことに、今暮らしている家にはラジオもテレビもある。
目の前に見えなくても、電車は思い出をひっぱってくる。


毎日一緒に登下校をしていた。小学校から高校まで、12年も。ケンカもたまにはした。けど次の日にはやっぱり、肩を並べて学校に向かって歩いてた。
そんなもう家族ともよべるような親友が突然この世から消えた日は、世界がひっくり返ったみたいだった。けれども、周りの空間ではいつも通りゆっくり時は流れていて、やっぱり事実がウソにしか聞こえなかった。
何かが足りなくなった。今までの日常がなくなった。思い出だけが輝いて、むしろ過去の方がウソに感じた。
最後の日、二人で電車に乗って学校から帰ってきた。夕暮れ時、電車待つホームからみえる見慣れた町並みもキレイにみえた。いつも、毎日に一生懸命で、将来のことなんて話してない二人が初めて将来について話した。「わたし、スチュワーデスになりたい」そういって笑顔で、電車に乗り込んだ姿があまりに、印象的だったから。未来が輝くのが確実に思えたから。それをあっさり裏切ってくれた電車。

現実逃避で地方の大学へ入った。学校近くの寮に住み始めてはや2年。
新しい世界に、新しい自分が始まって、すでにこれが自分の全てにすらなってきた。
けれども、先日高校の同窓会のハガキがきた。